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フィリピン・シー(USS Philippine Sea, CV/CVA/CVS-47, AVT-11)は、アメリカ海軍の航空母艦。タイコンデロガ級航空母艦の15番艦。 == 艦歴 == フィリピン・シーは1944年8月19日、マサチューセッツ州クインシーのベスレヘム・スチール株式会社で起工する。1945年9月5日、アルバート・B・チャンドラー夫人によって命名、進水し、1946年5月11日、D・S・コーンウェル艦長の指揮下就役する。 フィリピン・シーは6月にロードアイランド州クォンセット・ポイントで最初の整調訓練を行い、9月に第20航空団を乗艦させカリブ海での整調航海を開始する。 整調航海終了後、フィリピン・シーはボストンで海軍の南極探検、ハイジャンプ作戦への参加を命じられる。1947年1月29日に南太平洋の南極付近で、リチャード・バード少将率いるパーティがリトル・アメリカから極地探検を行うため、航空機によって運ばれた。 1947年の残りをフィリピン・シーは大西洋とカリブ海で行動する。1948年の春にフォレスト・シャーマン中将率いる第6艦隊に加わるためフィリピン・シーは地中海に向かう。第9航空団を乗艦させフランス、ギリシア、チュニジアとシチリア島を訪問した。1948年6月にアメリカへ帰国する。 その夏フィリピン・シーは、レーダー誘導着艦システムのテストを集中して行う。11月には北極圏の寒冷地で艦体、機材および艦載機の運用テストを行う。 1949年1月には第7航空団と共に再び地中海へ派遣される。5月末に帰国し、ボストン海軍造船所でオーバーホールを行う。初秋に第1航空団と共にカリブ海へ出航し、その後北大西洋でジェット機の運用および艦隊演習を行い、年末まで作戦行動を行う。 フィリピン・シーは母港のクォンセット・ポイントから再び出航し、1950年の冬にパイロット訓練を行い、2月から3月にかけて大西洋とカリブ海で広範囲な艦隊練習に参加した。4月と5月は海軍長官を乗船させて軍産業大学、航空大学、軍幕僚養成大への巡航を行っている。 5月24日にフィリピン・シーはバージニア州ノーフォークを出航し、パナマ運河を通過し新しい母港のカリフォルニア州サンディエゴに到着、太平洋艦隊へ配属される。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「フィリピン・シー (空母)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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